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【焼き物】『会津慶山焼(あいづけいざんやき)』について解説します【福島県】

落ち着きのある見た目と主張しすぎない食器。
そして一つ一つ手作りで作られるのが会津慶山焼です。
手作りだからこその魅力があり、持った時に手になじみやすい質感があります。
一度姿を消し、再び現代に復活した会津慶山焼は福島県伝統的工芸品に指定されている工芸品として、多くの人に知られるようになりました。

会津慶山焼 とは

会津慶山焼は福島県会津若松市で作成されている陶器です。
会津慶山焼の始まりは江戸時代の前に当たる織豊時代の文禄元年(1592年)になります。

会津の名将でもある蒲生氏郷公の存在

当時の会津藩主でもある蒲生氏郷(がもううじさと)が慶山の土の上質さを生かし、黒川城(現在の鶴ヶ城)の屋根瓦を作成する目的で、慶山に窯場を築き、肥前の唐津から陶工を招き入れ、慶山の土を使用して瓦を焼かせたのがはじまりといわれています。
蒲生氏郷公といえば、会津という地を少しでも多く人に知ってほしいと伝統工芸品を作り出し、商業も発展させるなど会津若松の礎(いしずえ)を作り出した名将としても知られています。

瓦以外にも作成されていく慶山焼

近代に入るにつれ、慶山焼の作品は瓦だけでなくレンガや土管といった資材をはじめとして茶道に合わせた茶器を作成する等、日常生活に欠かせない食器類や生活用品も作り出していました。
文久年間では、現在の柳津町でもある会津軽井沢の銀山で使用する資源加工用のるつぼを作成する等、会津の慶山焼のすばらしさを多くの人に知ってもらい、繁栄していった時代と言えるでしょう。
慶山焼を作り出している窯元はこの時点ではいくつか存在していたのですが、第二次世界大戦が慶山焼の歴史に大きく関わってくる事になります。
戦火の影響もあり慶山焼の窯元すべてが消失、そして窯元の消失に伴い慶山焼は一度、姿を消してしまいました。

会津慶山焼の歴史を絶やしてはいけない

現代に再び会津慶山焼が姿を現したのは1974年の事。
昔の資料を基に試行錯誤した結果、慶山焼独自の発色を再現させる事に成功しました。
現在にあたる「やま陶」、当時は「香山」の窯元により復興されました。
1592年から始まった慶山焼はこのような歴史を経て今も受け継がれているのです。
その後、会津慶山焼は平成9年3月31日に福島県から県の伝統的工芸品に指定されています。

会津慶山焼 特徴

会津慶山焼の特徴は、慶山の土から精製された粘土を使用し、一つ一つ手作業で作られているという点。
形成するのには、水びき、手びねり、タタラ作りなどが一般的で、会津慶山焼の特徴の一つともいえます。

水びき

ろくろを使用して手に水をつけながら、徐々に粘土を上に引き上げて形を作っていく方法です。
手にたっぷりと水をつけながらの形成なので、表面が滑らかに仕上がります。

手びねり

手回しろくろを使用し、指で粘土をはさみつつ上に押し上げ形を作っていく方法です。
手びねりで作成された作品は手に取った時にしっくりとくる質感に仕上がります。

タタラ作り

タタラとは板状の粘土を指します。
板状粘土を目的の形に切り抜き、組み立てたり丸めたりして形を作っていきます。

乾燥

会津慶山焼の乾燥はいきなり日光に当てるという事はなく、ゆっくり時間をかけて行います。
完全乾燥するまで行います。

釉薬

会津慶山焼で使用している釉薬はケヤキの木やモミ殻などの灰、福島長石を調合して使う場合もあります。

焼成と色合い

会津慶山焼は2度焼成を行います。
1度目は600度での素焼き、そして釉薬による処理をした後に1,250度の高温で焼成されます。
焼き方で色の出方に違いが出るのも特徴の一つ。
灰釉と焼成によって作り出される色は藍色や薄紫・水色・白・黒など多彩です。
中でも会津慶山焼のファンを魅了しているのが薄紫色や水色に発色した作品。
灰釉が酸素を送り込みながら焼く酸化焼成だときれいな紫色に仕上がります。
逆に酸素を送り込まない還元焼成だと色合いが美しい水色が出てくるといった違いが出てくるのです。

会津慶山焼 種類

文禄時代の会津慶山焼と現代の会津慶山焼についてご紹介していきます。
時代に合わせて作成しているものこそ違いますが、普段の生活に取り入れやすい食器なども作られています。

文禄時代の会津慶山焼

鶴ヶ城の屋根瓦の作成から始まり、レンガや土管といった資材、植木鉢、食器類を作成していました。
現時点で文禄時代の会津慶山焼を探すのはほぼ難しいでしょう。
現在の鶴ヶ城でもひときわ目立つ赤い屋根瓦。
鶴ヶ城の特徴の一つともいわれていますが、使用されている赤瓦に関しては、すでに葺き替えが行われています。
文禄時代の会津慶山焼による瓦は残っていない、もしくはお目にかかる機会自体はなかなか難しいと考えた方が良いでしょう。

現代の会津慶山焼

現代に復興した会津慶山焼では、資材などの作成は行っておらず、マグカップやコーヒーカップ・酒器・ビールカップ・皿鉢・小鉢・ご飯茶碗・茶器・箸置き・香炉など、生活に欠かせない食器類を作るようになりました。
昔の伝統を引き継ぎつつ、新しい試みも取り入れているのが特徴の一つ。
お客様から要望があったのをきっかけにスプーンや陶器製コーヒードリッパーが誕生する等、新しく商品化されるものも。
日々の生活に取り入れやすいアイテムも増えつつあります。

会津慶山焼 窯元・作家

文禄時代の会津慶山焼に関しては、窯元の詳細情報や作家についての情報がありません。
作家に至っては、九州の唐津から陶工を呼び寄せたといった情報のみになります。
ここでは、現代の会津慶山焼 窯元・作家についてご紹介していきます。

会津慶山焼 やま陶

会津若松市東山町石山天寧にある窯元のやま陶。
寺院に残されていた古い文献をもとに会津慶山焼を復活させた唯一の窯元になります。
今は「やま陶」ですが、以前は「香山窯」という名前でした。
作品を作り販売している傍ら、陶芸教室も開いており、湯呑みやマグカップ、お皿を作る事ができます。
陶工が指導してくれるので、陶芸経験が初めてという人でも作成できると好評です。
手びねり体験や絵付け体験もできます。

会津慶山焼の作品に関して、オークションサイト等ではあまり見かける事はありませんが、会津慶山焼は、やま陶の販売スペースやネットショップからも購入可能です。

・曲山靖男
昭和16年(1941年)生まれ。
香山窯やま陶の陶主でもあり、会津慶山焼を復興させた陶工です。
生まれた時期は世界大戦の影響もある時代で、慶山焼が一度姿を消した時期でもあります。
会津若松を多くの人に知ってもらうきっかけにもなりますし、多様な作品、日用品を通し親しみやすい慶山焼の火を消したままにしておくわけにもいかないという気持ちから会津慶山焼を復興させました。
会津慶山焼を通して会津の魅力を伝えながら弟子に伝え、後世にも会津慶山焼を伝える活動をしています。

・曲山 輝一
福島県会津若松市在住、家業が陶芸だったという事もあり、小さな頃から工房や粘土に接する環境で育ってきました。
2000年に駒澤大学卒業後、やま陶に入社し、日々、作品を作り出してきました。
伝統工芸に携わる責任、そして昔からの工法や原材料を守りつつも若い世代に会津慶山焼を引き継いでいけるように意識しています。
コーヒーカップや豆皿など、日常使いに適した食器類などを制作しています。

まとめ

会津慶山焼は世界大戦の戦火と共に一度、姿を消す事になりましたが、曲山靖男さんの働きかけで再び火をともす事が出来ました。
現代の会津慶山焼は日常生活でも取り入れやすい食器類の作品が多いですが、手作りの風合い、焼成による色の出方で作品それぞれに違いが出てくるのも一つの魅力。
手作り体験もできるので、自分で作り上げた会津慶山焼を手にしてみるのも楽しいです。

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